今月も妻と娘を伴って新潟県胎内市の名刹「乙宝寺」まで参拝に出かけました。
先月も乙宝寺参拝に関する記事を書かせていただきましたが、今年(2015年)は初詣以来毎月だいたい月初の週末に参拝を続けてきました。う~ん…今年はちょっぴり波乱続きで、ここまでは明らかに「とってもラッキー!」という出来事もありませんでしたが、「後厄42歳」であるにも関わらず元気に過ごせていること自体がご利益なのだと思います。ありがたいです!
先月の記事の最後に、私は「次回(来月)は乙宝寺を散策してみたいと思います」と書きました。
実際に先回の記事を書いている時点で、来月(=今回の参拝)は乙宝寺境内の「血の池」を散策しようと思っていて、今回の参拝では実際に「血の池」を散策してきました。…が、そこで撮影した写真複数に奇妙な現象が見られました。
ひょっとすると、これが俗にいう「心霊写真」というものかも知れません。
そんな事情があり、今回は公開できない写真があります。
また、掲載するかどうか悩みに悩んだのですが…後半には奇妙な現象が現れている写真を掲載していますので、そういった写真をご覧になりたくない方は今すぐ別のページに移動していただけますようお願いいたします。
私は最初、「血の池」とは仏教世界での地獄に存在するという「血の池地獄」や、別府温泉に代表される(間欠泉などの)「血の池」…といったものを勝手に想像していましたが、乙宝寺の血の池は全く違ったものでした。
そこには、作り話では無い悲しい歴史の物語がありました。
そんな背景もあり、今日はいつもよりちょっと神妙な気持ちで記事を書きました。
参拝後、以前から気になっていた「血の池」を探して境内を散策開始。
「血の池→」という案内板どおりに進みます。
てっきりスグ「血の池」にたどり着くかと思っていましたが、思っていたよりも歩きました。なお、道中殆ど墓地の中を通りましたので写真は割愛させていただきました。
問題は、この先です。
やがて墓地を過ぎ、草木が茂る細い道に差し掛かりました。バテ気味ということもありましたが、ちょっと不安な雰囲気を感じて写真を映すと…映した写真には、奇妙な現象が。
(映しているときは写真の異変に気づかず、後で写真をチェックしていてわかったのですが)
お分かりになりましたでしょうか?
画面の一部だけ、まるで手ブレしたかのように見えますが…実際によく目を凝らして見ると、小さな光が無数に飛び交っているようにも見えます。
実はここ、既に「血の池」のすぐ近くでした。
直後、先ほどの写真の奥の方に進むと、そこが「血の池」でした。
ですが、途中に説明の立札やお地蔵さんがあるだけで…「池」などどこにも見当たりません。
私は興味本位の物見遊山でわくわくしながらやってきたことに、何とも言えない申し訳無さと恥ずかしさを感じてしまいました。…と、これだけ書いて締めたら私は偽善者です…ごめんなさい、正直に告白すると、ちょっと「怖い」「気持ち悪い」と思ってしまいました…安らかに眠っている赤ちゃんたち、本当にごめんなさい。
そして、「池なんてどこにも無い」と思っていたら、この立札のすぐ後ろにあった「少し開けて、枯草が広がっている場所」こそが「血の池」であろうことが判明。
(帰宅後にインターネットで調べて、他の方が撮影した池の写真とお地蔵さんの立地などから推定)
連日の猛暑により、池が干上がってしまっていたのでしょう。
※実は他にも「干上がった池」を映した写真もあるのですが、こちらは 人によって不安感や恐怖感を感じてしまう場合もあるかと思い、掲載を自粛させていただきました。
帰宅後、写真を確認してビックリした私は、何人かの親しい友人に意見を求めました。
その結果、
「池が一見干上がったように見えても、地中にはまだ水分が保たれています。この、保たれた水分が暑さで上昇し、撮影した際に光の屈折となって映ったんだと思います。」
「ここに眠る霊は手厚い供養により安らかに眠っています。この子たちには決して害意なんてありません。ただ、無邪気に遊んでいて【私たちはちゃんと居た】という存在を伝えたかったのだと思います。」
「暑さでカメラがやられただけでは?」
といった、さまざまな意見をもらいました。
「存在を伝えたかったのではないか」という意見をくださった方は尼僧で、この方にはこれまでも多くのことを教わってきました。そうしたこともあり、私も「無邪気に戯れ、存在を伝えている」という解釈に至りました。
更にネットで調べると、この「血の池」…なにやら乙宝寺の近くにある県立少年自然の家や小学校などの「肝試しコース」になっているとのこと!?お地蔵さんの上に置いてあるおやつ引換券を取ってくるルールなども存在するとか?
私は正直、「えっ!?そんなことして不謹慎じゃないのかな?いいの?」と思ってしまいましたが、前出の尼さん曰く
「普段は寂しいところで眠っている子どもたちです。時に子供たちがわいわいキャーキャー楽しそうにしているのを傍で見れるのもいいんじゃないでしょうか!?私たちだって、変に気を使われて寂しいところで独りぼっちにされるのは悲しいですよね…だから、当時の人々は人里離れた山の中じゃなくて、人が集まるお寺の境内にある池を選んだんじゃないでしょうか?」
…と、なかなかポジティブな解釈です。でも、言われてみれば確かにそうですね!それなら、どんどん池の近くで子どもの催し物をしませんか!?それと、ちょっと殺風景なので小さな子が喜びそうな…水色、桃色、ウグイス色のぼんぼりを灯したら、喜んでくれるんじゃないでしょうか!どうでしょう!?
ここに書けなかったことも含めて、色々と考えさせられる今回の参拝となりました。
【この記事には後日談があります】
翌月(9月)、再度乙宝寺を訪れた際、どうしても「干上がった血の池」が気になって再度血の池を訪問しています。