私が生まれ育った新潟県新潟市北区には、数々のパワースポットが存在します。
前篇としてご紹介しました「高森の大けやき」、さらに以前ご紹介した私の実家のスグ近所の内島見観音堂。
そして今回ご紹介する「太郎代(たろうだい)観音」…他にももっともっと沢山の「パワースポット」「不思議スポット」「レトロスポット」が現存します。
さて、今回の太郎代観音…まずはお約束の「案内板」の解説からご覧になってみてください。
因みに、私が家族と共に参詣したのが2015年8月9日でした。
…おわかりいただけただろうか!?
な、なんだ…と…!?
「8月9・10日に参詣すると4万6千日参詣したご利益があるといわれています。」
そうです!ズバリ、その「4万6千日参詣したご利益」に目が眩み、まんまと8月9日に参詣してきた…というワケです;
だって、4万6千日って……
……ええと……うーん……
…(電卓で計算中)…
えっ!?ウソ!?マジでッ!?
「4万6千日参詣したご利益」って言ったら、126.02739726年間(※)参詣し続けたのと同じご利益ですよ!!!
(※「うるう年」は面倒なので加味していませんので悪しからず)
約126年かぁ……私はまず、126年も生存できる自信がありません…。つまりは【人間が一生、毎日参詣し続けたご利益】と同じ、という意味が込められているのだと思われます。
さぁ、そんなにスゴい…じゃなかった、「有難い」タイミングで訪れることができたのです!
早速、レッツ参詣です!
駐車場に車を止めて、ものの1分ほどで立派な観音さまに参詣!
…しかし、今日は大変ありがたい「126年間毎日お参りしたのと同じご利益がある」8月9日……そんなに重要な日であるハズなのに、他の参詣者が一人も居ない…何かがおかしい!?
太郎代観音がこの地に安置されたのが天正年間…「天正」といえば、織田信長に代表される戦国大名が活躍したバリバリの戦国時代真っただ中です。
あのぅ…立派な観音さまには大変失礼なんですが……観音さま、どう見ても戦国時代のお生まれ(=戦国時代の作品)では無いですよね!?とてもお綺麗で、どう見ても近年安置されたばかりのような…!?
参詣を終えて帰りかけましたが、やっぱりどうにも腑に落ちない。
そこでよくよく見てみると…この立派な新しい観音さまは「報恩観音」という観音さまでした!
モチロン参詣して悪いはずなんて全く無いのですが…うぅ…報恩観音さま、本当にゴメンナサイ……やっぱり折角の8月9日なので、本命の太郎代観音さまに参詣したいですっ!! m(__)m
なんだか浮気者のようなバツの悪さと申し訳無さを感じながら…本命の太郎代観音を探して境内をウロウロ…

「ひときわ高い場所」をぐるりと囲むように沢山の観音さまがおられます…ひょっとして、太郎代観音さまは某アイドルユニットのように48体とか複数おられるんだろうか!?……などと頓珍漢なコトを考えていたら、正解は沢山の観音さまに囲まれた「ひときわ高い場所」に太郎代観音さまがおられました!囲んでいるのは33の観音さまということで、詳しく調べていませんので真相は判りませんが、「33観音参り」を再現した場所なのかも知れません。
当日は日差しも強くて暑かったんですが、汗だくになりながらあちらこちらウロウロさまよって…ようやく太郎代観音さまにたどり着きました!!
太郎代観音さまが安置されているのは境内の「ひときわ高い場所」で、私のようなひねくれ者じゃなくて素直な人だったらスグに辿りつけるんじゃないかと思います;
い…いや、私だって、最初から「ひときわ高い場所」がアヤシイなぁ…と思っていましたとも…(震え声)

こちらが太郎代観音さま。私たちがたどり着いたときにはお菓子(おせんべいなど)をお供えして熱心にお祈りしているお婆さん達が先にいらしていて、お供えものも持たずに手ぶらで【ご利益目当て丸出し】でノコノコやってきた自分が恥ずかしくなりました…反省。お婆さんたち、去り際にお供えものを持ち帰りました。「おさがり」としてご家族で頂くのでしょう。
お賽銭を入れてお参り。
お参りした後に観音さまの頭をさすり、次に自分の頭をさすります。
どこか体に悪い部位があれば、観音さまの同じ部位をさすり、続いて自分の患部をさすります。
さきほども触れましたが、太郎代観音さまは天正年間(戦国時代)のお生まれです。
「戦国時代」「乱世」と聞くと、なんだかとても荒々しく血なまぐさい時代を連想しますが…観音さまのお顔はとても柔和な表情で、それほど大きく無いこともあって、なんだか可愛らしい印象さえ受けました。
当時は戦乱や飢饉、河川の氾濫などなど…人の命は今よりもずっと儚いもので、人々が不安や貧しさに脅かされながら日々耐え忍んで生きていたんだと思います。
そんな大変な時代だからこそ、心の平安を求めて…柔和な表情の可愛らしい観音さまがお生まれになったのではないでしょうか。
……そんなことを考えていたら…いつもの如く、胸が熱くなった。
欲張らなくても、誰もが「126年間毎日お参りしたのと同じご利益」を受けているじゃないか!!
だって、戦争も無いし、飢え死にする心配も無い…アレコレ不満を言ったらキリが無いけど、本当に穏やかな時代を生きさせてもらっているのだ。
…親や子、配偶者、そして自分が「殺される」「飢える」といった心配に日々悩まされることが無い。
かつて戦国の時代に全ての日本人たちが切実に願ったことが、私たちには最初から叶えられている。
これは、深く感謝しなければならないことだと、改めて痛感した8月9日でした。
ありがたや!!!